チタン 古い歌歌います

在日朝鮮人について(1/2)

在日朝鮮人について(1/2)

東京台東区の上野・浅草というところは、在日朝鮮人が都内でも比較的多く住んでいる場所だ。あまり知られていないが、上野には古くからのコリアンタウンがある。

実は、台東区出身の僕にも在日朝鮮人だった友人がいる。幼稚園からの幼なじみだ。彼は、お父さんが在日二世で、お母さんが日本人だったのでいわゆるハーフということになる。また、お父さんは朝鮮語がいっさい話すことが出来ず、日本語しか話せない。

しかし、戸籍上は父親の戸籍が子にも受け継がれるので、私の友人も在日朝鮮人ということになっていた。

もちろん、友人も日本で産まれて日本で育っているから、日本語しか話せない。キムチも嫌いだ。そればかりか、自分自身が在日朝鮮人であることも、高校受験になるまで自分自身が知らなかった。高校受験では本名を書いて申請する。その段になってはじめて親から自分が在日朝鮮人であると聞いたのだ。

それまでは僕らと一緒に馬鹿だのチョンだの言っていたのが、一切言わなくなって、なんだかふさぎ込むようになっていた。

その後、色々あったけれど、結局、友人は20歳を機に日本人として帰化する手続きを取り、日本人(新日本人)となった。今と違って煩雑な手続きで、数年かかった。ただ、帰化するということは自分の父親のルーツを否定すること、縁を切ることでもあり、その間相当悩んではいた。

ひとつ、興味深かったのは、彼の国籍が朝鮮籍だったことだ。おじいさんは韓国のほうの出身だったけれど、韓国籍ではなかった。かといって北朝鮮籍でもない。「朝鮮」籍なのだ。つまり、今現在ありもしない「朝鮮」という国家が国籍だったのだ。これは分断国家になる以前の朝鮮が日本の植民地であったことを、そのまま踏襲したのだろう。
しかし、存在しない国の国籍がある、ということ、なんとも不条理な思いで友人のその免許証を見せてもらったことを良く覚えている。

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